平重盛の別邸跡を訪ねる 『小松谷 正林寺』
当寺は東山三十六峰の阿弥陀ヶ峰を仰ぎ見る位置、馬町から渋谷街道の坂道を登ったところにある。かつて平重盛の別邸で小松殿と称した。平家没落の後、九条関白兼実の山荘となり月輪御殿を造営の際に法然上人のために別にお堂を建て、法話を清聴したという。 ご住職の話と境内の拝観という貴重な機会が得られた。
Updated Date : 2024-07-26 16:20:55
Author ✎ 京都再発見
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「注」「法然上人霊場」よりも「平重盛ゆかり」にウエイトをおいた。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」~平重盛の言葉~『日本外史』(頼山陽) なお「平重盛ゆかりの遺跡」は、上記のhttps『ホテルと一体化の寺院(浄教寺)』をクリックしてご覧ください。ほかにも近くには庭園の「積翠園」や「三嶋神社」など重盛ゆかりがある。
山門
小松谷→京の四谷(よんたに)の一つ(他は古知谷、鹿ケ谷、泉谷)。なお四谷の詳細は後日とりあげる予定。
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本堂(大師堂)
正面・・圓光大師(法然上人)の肖像で上人自作の乾漆像と伝えられる。若々しく柔和な表情がなんとも爽やかである。 右側・・九条関白兼実公の剃髪・出家後の肖像 左側・・聖光房(鎮西上人)像
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阿弥陀経石(境内墓地)
この石碑は,宗像大社(福岡県)にある阿弥陀経石(重要文化財)を模刻したもので,原碑とほとんど同じ形状・大きさで同様の模刻碑は,京都市内では知恩寺(左京区)にも現存する。 宗像大社にある原碑は,平重盛が宋へ砂金を送り,その返礼として重盛の没後に日本へ送られ,宗像大社へ届いた。しかし平氏滅亡のあとだったので京都へ送られることもなく,宗像大社へ移されたという。この「阿弥陀経石」は,中国襄陽(じようよう)龍興寺の石刻阿弥陀経に基づく本文が刻され,日本に伝わっていた阿弥陀経と比べ21字多く,とくに珍重されたという。
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小松谷 正林寺
34.99055049360448
135.7806698419154
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34.99055049360448,135.7806698419154,0,0,0
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